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2010年のカバドリ

 2021-04-23
BW◯周年記念のカバドリラティ同人誌(全500ページ)に寄稿するためにカバドリ記事を少しづつ書いていましたが、半径5メートルぐらいの内容になってしまった部分をここに投げときます。

ついこないだ「ニコ生バトレボ環境の変遷」を公開した気がするんですが時が経つのははやい…




巷でたまにみるBW環境のまとめ等では、カバドリが広く認知された時期を2011年の1月付近としていることが多いので、今回は2010年にカバドリ構築を使用していた身近な人達のことについて、大雑把な記録をぼんやりした記憶によって紐解いて振り返りたいと思います。



【太古のカバドリ使用者の簡単な紹介】

自称ガチ勢のジャンクの人(以下R氏)


自称カバドリブームの火付け役。本人の知名度の割に、HNである「らみるー」を冠したカバドリが有名になりすぎたせいで存在しない説もあった人。


涎垂れ流しの人(以下D氏)
https://dogura.hatenadiary.org/entry/20101128/1290944294

バトレボ時代から数多くの大会で実績を残す。強さの言語化に優れていたため、記事や発言を参考にしていた人は多かった。ドグラbotも有名だった


【2010年カバドリの経緯】
・9月18日  BW発売
・11月11日  R氏、カバドリ構築に着手(カバ孵化)
・11月28日 D氏、オフでカバドリを使用して優勝
・12月11日 R氏、オンライン大会(こっぽら杯参加者116人)で準優勝


〜BW発売後のんびり育成時代〜

第4世代から第5世代への大きな変化として全プレイヤーのルール統一がまず挙げられます。
第4世代では、
「バトレボメインのプレイヤー」
「掲示板などでオンラインDS対戦をしていたプレイヤー」
「オフ会での対戦メインのプレイヤー」
などがいましたが、活動場所によってFCロトムの有無や催眠の命中率など様々な要素が異なる状況でした。

第5世代が始まると、全てのプレイヤーが同じ条件で対戦することになりました。
 とはいえ初期ではネット勢オフ勢意識はまだ強く残っており、考え方の違いも明確になり後の対立の一因にもなりました。
この辺りの話を知らない人は身近な当時のプレイヤーに聞いてみましょう!


 また高レートを目指すことに価値を置いている人が現代よりは少なかった点や100人以上参加するオンライン大会がまだ開かれていなかったので、発売日から一か月ぐらいはのんびりした対戦が行われていました。

 特にこの時期に、第4世代のボックスに余るほどいた結論パのパーツをポケシフターで輸送して、テラキオンと組み合わせて遊ぶ人達が多かった記憶はあります。これが「第5世代で結論パが崩壊した」みたいな話の根拠(ネタ)になったようなそうでもないような…




〜カバドリの誕生〜
 11月初旬にR氏がバンギラス+ドリュウズを使用し始めます。
(※彼はトリプルでかなり前からドリュウズ使ってた記憶もありますが確認を取れていません)

 しかししっくりこなかったようで9日にカバの技構成を考え始め、
地震/ステロ/欠伸/吠える@食べ残し
の技構成はその日に決定。

 11日にカバの孵化をし、mixiによると14日17日19日はオンラインの小規模大会に参加してベスト4以上らしき成績を3連続で残していました。
 当時はニコ生で30人ぐらい参加する大会は誰かが開いていたこともあり、大会頻度は多かったですね。



 少し時期が戻り10月頃の話になりますが、ナットゲルと呼ばれるナットレイ+ブルンゲルという構築が一部で注目されて高評価を得ます。
今では対戦方式と好みの戦い方の違いで理解は出来るのですが、当時は何故高評価なのか検討がつきませんでした。
一方でBWに入って元バトレボ勢から高く評価されているキノガッサやハッサムは、一部で異常に低い評価といった状況でした。

 そのような中、D氏がオフ会に参加して実力を見せつけてくるとのことで、11月中旬付近にオフで勝てる構築通話が始まりました。

当然経緯からいってガッサハッサムは確定。
また
・オフ勢が欠伸環境を経験していない(予想)
・ナットゲルのような安定してサイクル回す構築を好むので全抜構築の知識は少なそう
ということから多分欠伸の対応ミスにより自然とアドバンテージが生まれ全抜きできるだろうということでR氏が考えていたカバドリ要素を追加。

残りのポケモンは下手に全対応を考えるよりは使いやすいポケモンを入れて強さを押し付ける方がいいみたいなコンセプトだったはずです。

結果としてそんなに甘くはなく、辛いポケモンに当たったもののプレイヤーの地力で乗り切ってD氏の優勝。
このオフ会を契機に、後にカバドリの貴公子と呼ばれる「ログおきば」の人がD氏と交流をもち、翌月にはカバドリを使用し始めたことも2011年のレートでのカバドリブームの要因かもしれません。
なんだかんだこの辺りからオフ勢とネット勢の対立が緩和されていったような気がしますが詳しいところは不明。


R氏はといえば、2010年の12月に行われた大規模オンライン大会(コッポラ杯)の決勝戦まで勝ち上がりました。今でも決勝でサンダー相手に岩雪崩を外し熱風で落ちていったドリュウズのことは鮮明に思い出せます…
2010年に優勝はなかったものの数多くの大会でカバドリの強さを見せつけ、オンラインプレイヤーの裾野から使用者を増やしたことがカバドリブームに繋がっていったのだと思います。


2011年以降については、積み技に目が眩み、レート戦をやらずに楽しいポケモンしかしてこなかったプレイヤーだと詳細を語りようがないので当時の構築意図などを深堀することはやめておきます。
ということでカバドリラティの変遷をまとめた本が頒布されることを楽しみに待っています。
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